2012年10月 のアーカイブ

日米安保条約

2012年10月23日 火曜日

先日、目を疑うようなニュースが飛び込んできました。沖縄での米兵による女性暴行事件。もうひとつは、女性が不当に人権を踏みにじられた事件。胸が痛みます。沖縄の事件では、10月17日付の「しんぶん赤旗」では、今年8月に、アメリカ議会で「中東の紛争に派遣されていた部隊が沖縄へと戻り、活動が増えることで犯罪や事故が増大する危険がある。」と警告されていたことが報じられ、さらに驚きました。つまり、すでに警告されていたにもかかわらず、国民の安全や人権がないがしろにされていたと言うこと。それよりも、米軍の言いなりになっていることが大事だったと言うこと。日本政府は、「知らなかった」「想定外」では当然済まされません。この事件の根本にある米軍基地問題・日米安保条約破棄のたたかいは、これから、大きな争点になりつつあります。

領土問題について思うこと

2012年10月16日 火曜日

先日、浅草雷門前で吉良よし子さんと街宣を行ったときのこと。ふと雷門に集っていた観光客を見ると・・・中国人観光客の姿が全く見えない。銀座や築地市場にも中国人観光客がめっきり減っているそうです。国どうしの問題で、庶民が痛手を食う形になってしまうのはなんともやりきれない。1日も早く、日本政府が「領土問題は存在している」と認め、交渉のテーブルにつくことが、日中の関係を正常化させるためにも求められています。しかし、民主も自民も橋本維新の会も、この問題に乗じて、「日米軍事一体化」とか「集団的自衛権の行使」また「沖縄県民は日本の防衛のためにオスプレイの配備を容認しろ」などと無責任に言っていますが、そんなことをして問題の解決にならないばかりか。最悪の結果を生み出すことになりかねないことがわかってないのかと、憤ってしまいます。いまこそ政治を変えないと!! 

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オスプレイは、本国へ帰れ!!

2012年10月7日 日曜日

昨日、あの「危険極まりない欠陥軍用機」オスプレイが12機、沖縄の普天間基地に配備されました。操縦が困難な上に、通常ヘリコプターにはつけておかなければいけないという「オートローテーション」という機能がついておらず、両翼のプロペラが止まってしまったら、そのまま落下してしまうという代物です。これまで60件以上の事故を引き起こし、36人もの死者を出した。こんなものが、住宅密集地のど真ん中にある、普天間基地に配備され、飛び回るというのですからたまったものではありません。これは沖縄県だけの問題ではありません。すでに、沖縄のみならず、日本中を飛びまわろうとしています。昨日は、高知県の上空を飛んでいることが確認され、今後は横田基地のある東京や全国の空も飛ぶことになっています。しかも低空で爆音をとどろかせながら昼夜を問わず。そのコース上には、もちろん原発や大型の工場などもあります。考えただけでもゾッとします。野田首相は、もし、落下事故が起こり大災害となったら、どう謝罪をするのでしょうか。どう責任をとるでしょうか。アメリカ本国のハワイ州では、住民の反対で配備・訓練が中止されたというのに、日本では飛びたい放題だなんて・・・。もっと声を上げて中止させなければなりません。なかには、「日本を守るためにオスプレイは必要」などといっている人もいるようですが、いつ事故を起こしてもおかしくないようなもので日本を「守る」なんて、明らかに国民の「安全」など考えていません。

追伸:先日ブログで書いた「原子力規制委員会」の「赤旗」記者の排除。「しんぶん赤旗」出の連日の告発と、各方面からの批判の声で、わずか8日間で、撤回されました。この勢いで、「原発即時ゼロ」へ!!

12.10.7

原子力規制委員会

2012年10月1日 月曜日

久しぶりに、原発の話。民主党政権が、国会も通さずに単独で結成した「原子力規制委員会」。元原子力委員会委員長代理であり、原発推進の立場に立つ田中俊一氏委員長を務め、委員長や委員の多くが原発関連企業から献金を受けるなど「原子力ムラ」の人たちで構成されているなど、多くの国民の反対の声を無視して結成されました。この「原子力規制委員会」が結成後、まず行ったことが「原発」ではなく「報道」の規制。なんと、定例の記者会見から「特定の主義主張を持った機関の機関紙はご遠慮いただく」といって「赤旗」の記者を排除する。フリーの記者も、どんな雑誌にどんな記事を書いているかを見て「特定の主義・主張をもって書いている人」は排除する。という、方針を打ち出してきました。これは、同委員会が謳っている「透明性の確保」に反するだけではなく、国民の「知る権利」、「言論の自由」にも反する、暴挙です。しかも、その理由が「特定の主義主張」から「政党の機関紙」そして「会場が狭いので入りきらない」と日を追うごとに変わるという杜撰さ。記者会見というのは、主催者が報道を通じて、自らの主張を述べるだけでなく、記者を通じ疑問に答えていく場でもあります。だからこそ広く開かれたもので無ければなりません。それを規制するのですから、彼らの掲げる「信頼性の回復」などほど遠いといわざるを得ません。(今日は写真ナシです。スイマセン)